メキシコ20世紀絵画展
と
アロイーズ展
に行ってきました。
世田谷美術館には、フリーダ・カーロが目当てで行きました。
帰りに本も買って。
両方とも女性作家。
フリーダは体が不自由で、
アロイーズは精神を患った人。
たくさんのことに絶望して、
挫折を経験したんどろうと思う。
そういう悲しい思いから、
他人の気持ちを動かせてしまうような「もの」が出てくるのかなあと思った。
僕が描く絵は、
何にしても中途半端で、
フリーダのような強烈な、濃い絵ではないし、
アロオイーズのようにどんどんいろんな事があふれ出るような、破裂しそうな絵でもない。
きのうのブログに書いたように、
僕の絵は、なんだか曖昧なのだ。
僕は何不自由なくこれまで生きてきて、
今も、
仕事は大変だが精神を病むようなほどでもないと思う。とにかく今は病んでない。
時々、こういうアウトサイダーだったり、
障害をもってしまうことをうらやましく思うこともある。
もしかしたらいい絵が描けるかもしれない。
いやな人間だ。
でも、実際には、
体や精神を患ってしまうようなことにはなりたくない。
だってやだもん。怖いもん。
障害を持っている人が、この僕の文章を読んだらいやな気分になると思う。
でも仕方がない。これがいま僕が思っていること。
何もかも幸せなところから、「ものすごいもの」は生まれないのかもしれない。
そういう意味では、
不幸せな人は、たとえ「ものすごいもの」を生んだとしても、
幸せを感じられないのかもしれない。
制作が、現状の緩和薬にはなるかもしれないけど、
解決にはならないのかもしれない。
こういう作品をのほほんと見ている僕。
いったい何なんだろう、
と今思い返して感じている。
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