2009年7月28日火曜日

美術館3つ

昨日、
国立新美術館の野村仁 変化する相―時・場・身体

森美術館のアイ・ウェイ・ウェイ展 何に因って?
に行ってきました。

で、
今日は美術部の生徒を連れて
埼玉県立近代美術館の長澤英俊展-オーロラの向かう所
に行きました。
前に下見に行ったので2回目。


「野村仁 変化する相―時・場・身体」は、
好きな展示でした。

野村仁さんの作品は、
前に東京都現代美術館でやっていた
映像の企画展で見たことがありました。
広場でビデオカメラを
グルングルン回している作品です。

初めて見たときに、
頭の中から体全体が、
ゆくっりとうねるような感覚になって
面白くて。
また見ることができて嬉しかった。
帰りにそのビデオが売っていないか探したけど、
売ってませんでした。
その代りに、
空を群れで飛ぶ鶴を、
楽譜に起こして演奏されたCDが入った画集は買いました。
以前にどこかだっやった展示の
カタログか何かです。

写真やガラスの作品は、
テーマが重力、
時間、
海、
生命、
宇宙、
月、
太陽、
音、
鳥、
と、神秘的なものです。
スピリチュアルな。

神秘的なのを演じすぎている作品は
僕は嫌いですが、
野村さんの作品は
あまりいやな印象は無かったです。
作品をたくさん見て
その人がどんな人なのか
なんとなく感じたからなのか。

どこかの企画展やなんかで、
この人の作品が
1点だけ出品されていたりしていたら
たぶん僕は嫌いだっただろうと思う。


「アイ・ウェイ・ウェイ展 何に因って?」は、
たぶん昨日が最終日だったと思います。

アイ・ウェイ・ウェイさんが中国の作家さん
というのは調べていきました。

中国の新しい文化の動きを、
中国の伝統的な技術で
表現しているようです。

プーアル茶を固めて家の形にしたり、
中国の形の穴のあいた丸太だったり、
中国のランドセルをつなげて龍を作ったり、
なんだか中国をアピールするのが強すぎて、
僕としては
あまり面白くなかったです。

でも、
映像作品の前に
たくさん並べてある
中国の椅子は凄かった。

「何に因って?」って
「なにによって?」と読むのか。
今調べました。

展示の隣でやっていた「MAMプロジェクト009」というので、
小泉明郎という人の映像作品をやってました。
面白かった。



遠足のことは、
もういいか。
疲れた。


そういえば
スピリチュアルという言葉について
少し
書きたかったんだ。
書いてる途中で
忘れてしまった。
また思い出したら
書きたいです。


あと、最近美術館に
よくいってるなあというようなことも
書きたいと思ってたんだった

でも疲れたので
また今度書きます

2009年7月26日日曜日



ホームページに写真をアップしました。

何の信念もなく、
ただ散歩途中に気になったモノを
撮った写真です。

2009年7月22日水曜日

自画像


なんでもいい気分

自分は
自画像を描くくらい
正直な人間なんだっけ?

明日も頑張ろう
なんていう言葉は
まったく頭に浮かんでこない

この気分が明日には消えているように

たぶん消えているだろう
今だって
なんでもいい気分なんて
自分は本当に思っているのか
疑わしい

疑わしい
なんていう言葉だって
普段の言葉づかいの中には
ほとんど出てこない
不正直な言葉なんじゃないか

頭の中のことを
そのまま出せれば
もう少し
自分が正直ものだって
自信がわくんだろうけど

頭の中のことを
整理して
言葉にして
文章にして
キーボードを打って
画面を見て
自分が打った文章を見て
打ち間違いがないか確認して
ここは改行したほうが効果的じゃないか
とか考えて
どんどん頭の中のこととかけ離れていくような気がする

頭の中のことは
なめらかで
弾力のあるしなやかなイメージ
文章にしていくと
カクカクしてきて
かっこつけてくる

絵もそうか
ここはこんな印象を与えたいから
ここは灰色にして
画面の中にはもう少し端に寄せて
ここは筆後を残して
キャンバスの地を残して
とかいろいろ
どんどんかっこつけてく

もともと頭の中のことを
形に残したいと思って絵を描くのに
なんで自分は
形にしていくことを
不正直に思うんだろう

2009年7月21日火曜日

次郎

ラーメン次郎に行ってきました。
はじめて。

脂っぽくて、
あんまり好みじゃないみたい。

食べ終わった後、
コーラがおいしかった。

少しやせよう。
絵を描こう。

2009年7月20日月曜日

今日は

埼玉県立近代美術館の長澤英俊展-オーロラの向かう所

に行きました。
2日連続美術館めぐり。

夏休みなので、
美術部の生徒を連れて遠足に行く予定です。
それの下見。
ついでに髪も切りました。

展示は、
数本の大きな真鍮の棒が、バランスを保ちながら支えあっている作品や、
4本の細い柱に、うす布がかぶせられている作品、
天井のすぐ下に小屋が設置されている作品。
等。
どの作品もギリギリのバランスを保っている作品。

埼近美よりも広い場所で展示したら、
もっと作品がよく見えたんじゃないかな。

行った時間にちょうど長澤英俊さんのアーティストトークが始まって、
半分くらい聞きました。

話を聞いて何を感じたかというと、
「なんでこの人はこの作品を作らなくてはいけなかったのか」
ということ。
作品を作る意図。

なんだか思い浮かんだ形のアイデアを、
形にしただけのような。

僕が思う「作品」は、
出てこなくてもいいものを無理やり引き出すのではなくて、
作者にとって作品をつくって吐き出すしか方法がなくて、
その結果に残ったモノ。

そんなことを考えながら、
話を聞いてました。

ブログを再開して、
初めからこんなに長い文を書いてペースを飛ばしていると、
後が続かないだろう思う。

けど普段は毎日書くことなんてできないだろうし、書くこともないから、
書けるうちに、
書きたいものを書いておこうと思う。

2009年7月19日日曜日

フリーダ・カーロとアロイーズ

メキシコ20世紀絵画展

アロイーズ展
に行ってきました。
世田谷美術館には、フリーダ・カーロが目当てで行きました。
帰りに本も買って。

両方とも女性作家。
フリーダは体が不自由で、
アロイーズは精神を患った人。

たくさんのことに絶望して、
挫折を経験したんどろうと思う。

そういう悲しい思いから、
他人の気持ちを動かせてしまうような「もの」が出てくるのかなあと思った。

僕が描く絵は、
何にしても中途半端で、
フリーダのような強烈な、濃い絵ではないし、
アロオイーズのようにどんどんいろんな事があふれ出るような、破裂しそうな絵でもない。

きのうのブログに書いたように、
僕の絵は、なんだか曖昧なのだ。

僕は何不自由なくこれまで生きてきて、
今も、
仕事は大変だが精神を病むようなほどでもないと思う。とにかく今は病んでない。

時々、こういうアウトサイダーだったり、
障害をもってしまうことをうらやましく思うこともある。
もしかしたらいい絵が描けるかもしれない。

いやな人間だ。

でも、実際には、
体や精神を患ってしまうようなことにはなりたくない。
だってやだもん。怖いもん。

障害を持っている人が、この僕の文章を読んだらいやな気分になると思う。
でも仕方がない。これがいま僕が思っていること。

何もかも幸せなところから、「ものすごいもの」は生まれないのかもしれない。
そういう意味では、
不幸せな人は、たとえ「ものすごいもの」を生んだとしても、
幸せを感じられないのかもしれない。
制作が、現状の緩和薬にはなるかもしれないけど、
解決にはならないのかもしれない。

こういう作品をのほほんと見ている僕。
いったい何なんだろう、
と今思い返して感じている。


もっとくっきりとした絵が描きたいな
自分が定まれば
違う絵になるのかな
ぼかしてぼかして
ごまかしている
じぶんをかいてるのかな